遙か縁の土地めぐり



高館義経堂

田んぼ道をゆるゆると自転車で行くと,そのうち義経堂にたどり着きました。
義経堂といえば高館。
そう,ここで九郎は最期を迎えた,ということになります。
高館にあるお堂は,仙台藩藩主が17世紀に建てたといわれています。このお堂はその後建て替えられたそうですが。
弁慶が立ち往生したのは,別のところですね。
いつものことながら,行くの忘れた…。
入り口の近くに自転車を止めて,長い階段を上ってきます。

境内にある松尾場所の句碑には有名な
「夏草や 兵どもが 夢のあと」
と記されています。
――確かに…夢のあと,だよなあ…。しみじみ。

さて,句碑を後にして,しばし景色を眺めます。目の前にあるのは北上川と束稲山。
行ったときはまだ遙か3のCDもでていなかったので,もちろん気にも留めませんでしたが,泰衡さんのCDに収録されているあの束稲山でございます。
ちょうど,高館と北上川をはさんで反対側にあるのです。
――あんなところで何をしておった…,泰衡&神子よ…と思わず思ってしまうような風景(笑)

そういえば,束稲山は桜がすばらしかったようです。
平安時代後期に平泉を訪れた西行は,束稲山の桜の美しさに心打たれて,和歌を詠んだでございます。
「ききもせず 束稲山の さくら花 吉野の外に かかるべしとは」
そのままの意味なので,訳す必要もないかと思われますが,まあ,こんな意味。
「聞いたこともない束稲山とやらの桜が,吉野の桜に劣らないほど見事とは,こらまあ,驚いたもんだ」
――かなり意訳でございます。

吉野といえば桜の名所。
――ん?ってことは,吉野は平安時代から桜の名所だったってこと?これもまた驚きだ!(笑)
束稲山には,当時桜が一千本も植えられていたんだそうです。

景色を堪能した後は,義経堂へ。
「義経堂」と書いて「ぎけいどう」と読みます。「よしつねどう」ではないのです(笑)
このお堂には,義経公が祀られております。

こちらが義経公。ちょっとイメージと違う(笑)
この高館で義経は追い詰められ,自害したと言われています。
厳密にいうと,当時の高館がある場所からはずれているみたいですけれどね。

なお,こちらでは毎年5月2日に義経公追善法要が行われます。
平泉ではちょうど春の藤原まつりが行われている期間でして,一般の人でも参列が可能です。
そんなにたくさんの人であふれるわけではありませんので,お時間が合う人は行ってみてもいいかもしれません。
追善法要の詳細はこちらにまとめています。

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