遙か縁の土地めぐり



無量光院

跡ばっかりですな…。
義経堂にいく前に寄るつもりだったのですが,何を間違ったのか,近道を通ってしまったので,素通りしてしまったのですよ。
ということで,駅方面に戻って無量光院跡。
自転車なので,あっという間についてしまいましたけれど。
ついてみてびっくり。

――何もナイ…。

がーん…。ホント,何もないんだなあ。
あ,いや,何もないは,間違いか。
礎石は残っています。うん…。

無量光院は,「十六夜記」中で銀が言っていましたように,宇治の平等院鳳凰堂を模して作られています。
ただし,さすが北方の王者奥州藤原氏! 単に模しているだけではございません。
大きさは,宇治の平等院より大きい(笑)。
財力があったんでしょうねー…。

わかりやすい説明書きがそれでもちゃんとありました。

無量光院跡
『吾妻鏡』によると,無量光院は「奥州藤原氏の3代秀衡が建立した寺院で,新御堂と呼ばれた本堂には丈六の阿弥陀様が本仏として安置され,堂内の荘厳や境内の地形は宇治の平等院をまねて造られている」と記述されています。
文治5年(1189年)に頼朝によって藤原氏が滅ぼされると,平泉の町とともに無量光院も衰退の一途をたどって,現在では往時を偲ぶ建物群はすべてなくなり,柱を支えた礎石の一部が残存しているに過ぎません。
しかし,無量光院の跡は,残された地形の起伏によって,その壮大さを伺いしることができます。境内の西側には高く盛られた土塁と外側に堀跡,中央には現在水田となっている梵字が池跡が広がり,東側には小高い築山があります。池中の西側中島は,本堂跡の礎石,東側中島には昭和27年に検出された3棟の建物の礎石が並んでいます。
無量光院は建物こそ残っていませんが,地下遺構の保存状態が極めて良好なことから,昭和30年に国の特別史跡の指定を受けています。

ああ,でも本当に何もないと…説明書きもこれでなかったら,普通の人の目には 「ああ,空き地があるな」
で終わってしまうんだろうなあ。
そんな場所でした。

ところが!
2014年春に再訪した際は,水がはられていました。

なんでも,GWの期間中に,水をはり,また抜くそうです。ゆくゆくは年中水をはるように整備するとのことでしたが,2014年時点ではまだ期間限定でした。
ということを,宿の方に聞いたので,翌日朝から訪れた次第!

なんか,お花もたくさん!
以前来た時とあまりにも違いすぎてびっくり!

ところどころこんな石が。
これは…遺跡の一部なんだろうか。それとも本当にただの石なんだろうか…。
いや,形からして自然が形成したものではない,というのはわかるんだけれども。

そうこうするうちに,じょぼぼぼぼーと芝生にも水が!!
ああ!水がああああ!
友人と共に
「これぞ本当に『埋めるぞ』(ばーい泰衡さん)だね…」
と大笑いしました。

※注:ネオロマのイベントで,泰衡役の鳥海さんが「埋めるぞ!」と言ったことがあったのでした(笑)

作品とのかかわり

秀衡のもとを訪れる途中,望美は銀と知盛が似ていると思った場所。

秀衡が建立した寺院だと銀が教えてくれる

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