遙か縁の土地めぐり



中尊寺

中尊寺といえば,金色堂で有名です。
でも,金色堂だけではありません。

まずは坂の入り口にある案内所で,案内用のテープを借りました。
せっかくなので解説があったほうがよいかな,と(笑)。
たしか500円くらいで借りることができます。
あー,便利といえば便利なのですが,調子が悪くて,途中で何度も電池が消えました…。
すぐに復活していたので,接触不良だったのかもしれませんが。

中尊寺の本堂までは,月見坂を登っていきます。
月見坂…はて,どこかで聞いたような…。
あ,そうか。ネオロマのイベントで泰衡が言っていたんだっけ。
「月見坂を吹き抜ける風だけが知っていればいいことだ」って――。

金色堂に行くまでには,「弁慶堂」などのお堂があります。
名前の通り,弁慶を祀っているお堂です。
お堂の中には,弁慶の像が安置されているのです。
そして,中尊寺はご朱印もたくさんあります(笑)
私は途中で断念しました。それくらいたくさんあったんです。
数えていただけで,10箇所以上はあったと思います。
そして,ここでは,ご朱印5つごと(と思われます)に,見事な散華をいただくことができました。
私はちょうど毛越寺から数えて5つ目だったので,どこぞかのお堂でいただけました。

そして,もっとも多くの人が訪れるのが金色堂。
中には藤原四代のミイラが収められております。
秀衡のミイラは泰衡の首級も一緒に,ね…。
この泰衡の首桶に入っていたハスの種が,1998年7月29日,開花したそうな。「中尊寺ハス」と呼ばれているそうです。
何百年も前のハスの種が,現代になって花を咲かせるなんて,なんだかステキですねー。

というかさ,泰衡の首桶にハスの種を入れた人って,どんな人だったんだろうか? 
入れた人は…奥州藤原氏側?それとも…鎌倉側? 何を想って…入れたんでしょうね。しんみり。

ミイラはもちろん見られません。
でも,私が以前訪れた平成元年には,ミイラについてのドキュメンタリー映画のようなものが公開されており,それを中尊寺で見た記憶があります。
というか…子どものころしたためた自由研究「奥州藤原氏はなぜ平泉で栄えたか」の中に,半券が閉じこまれておりました。 ――子どものころから渋い趣味だったんだな,私…。そしてそれがこんなに後になってから,別の方面で私の心を満たすとは思ってもいなかっただろうなあ(笑)。

こちらは本堂。
金色堂が本堂なわけではないんです(笑)
うっかりすると行くのを忘れそうですけれど。
みなさん,目的は金色堂ですからね。

この建物は覆い堂といいます。
昔,この中に金色堂が入っていたそうです。
今は,ガラスケースの中で厳重管理していますけれど。

中尊寺の奥には白山神社という神社があります。
なかなかそこまで行く人はいないようですけれど。
神社には茅(ち)の輪がありまして,これをくぐることで,疫気を祓うといわれているそうな。
また茅の輪の横には,十二支のそれぞれのお社がありました。
友人と2人して,家族分,片っ端からおまいりしましたとも!

神社には立派な能舞台もありました。

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