遙か縁の土地めぐり



小田八幡宮

おそらく,八戸の中で最もテンションが上がった場所かもしれません(笑)
義経が持参した毘沙門天像を祀り,さらに大般若経を奉納したのだとか。
なお,このあたりの田んぼは義経が開拓したと言われています。
九郎さん,田んぼまで開拓したんか…。びっくり。

小田村の地名起源
「類家稲荷大明神縁起」によれば,義経が鞍馬から持参した毘沙門天の像を祀った小田八幡宮の前通りに,義経自らが小さな田を段々に開いていったことから「小田(こだ)」と命名されたという。
義経が住んでいた場所は,この地に程近い高館山の西方にあったと言われている。

なお,この神社にも北方伝説の案内板がちゃんとありました。
今回の旅では,この案内板にだいぶ救われました~(笑)

小田八幡宮
当地方に伝えられている伝説によれば,北へ逃れた義経は,八戸に上陸し近くの高館に住んだと言われています。
その土岐,この宮に義経が持参した毘沙門天の像を,八幡の神に合せ奉ったともいわれ,きた家来と共に奉納した大般若経の写経と経箱が現在も奉られています。
八戸観光協会

とりあえず,あまり情報があるわけでもないので,入ってみる(笑)

「八幡宮」の立派な額。
ちなみに,いつのことながら,境内には私たち以外にほぼ人はいない…。

で,まずはこれを見つける。

笹竜胆だよ,笹竜胆!!それまで訪れた八戸の史跡はあくまでも「伝説」としての史跡。
義経に縁のあるものが確かな形で残っているわけではないのですよ。当たり前ですけれど(笑)
ところが,ここに来て本当かどうかは別として,源氏の家紋である笹竜胆が出現。
うおー!とテンションあがる私と友人。

義経堂なるものまであります。

拝殿でお参りをしていたら…ふと気づく笹竜胆の存在。

おおおおおお!これはすごい…!
拝殿に掘られた彫刻が笹竜胆!!

「義経北方伝説」と書かれたのぼりがありました。

ここにも笹竜胆…!とてもきれい…。
このほか,くぎ隠しにも笹竜胆がありました。

そして,この後,ご朱印をいただきに社務所に行ったところ,宮司さんが色々教えてくださって。
判官びいきから江戸時代に上演された劇などで,まったく本編とは関係ないのに,義経が出てくるだけで拍手喝采だったんだ,と教えてくれました。
かと思ったら,まったく異なることもお話してくださいました。
義経が討取られたときのこと。
義経の首は平泉から鎌倉に運ばれたものの,首実検を頼朝は行っておらず,且つ,日数が経っていることから腐敗してしまっており,まともに確認されないまま湘南の海に捨てられたんだとか。
頼朝の目的は義経ではなく,あくまでも奥州藤原氏を滅亡させることだったと。頼朝の目的については,よく言われていますよね。あくまでも義経のことは口実って。
そんなことから,討取られたのは義経ではない,奥州藤原氏に迷惑をかけることを懸念して義経は1年前に平泉を脱出したのだという言い伝えになったのだろう,とのことでした。
伝説はここ八戸からさらに北上し,北海道まで続いています。
で,八戸より北の伝説はだいぶ後になってから「てんしょうじ」というお寺の方が付け足したのだとのことでした。
てんしょうじ…漢字を聞いてくればよかったー!!!

それから最後に教えていただいたこと。
神社の紋なんですけれど,笹竜胆と源氏車の2つなんだそうです。
社殿にも笹竜胆があったり,門にも源氏車があったり!宮司さんに教えてもらわなかったら素通りでした…!!

小田八幡宮付近の田園風景。
九郎さんが開墾した…のかもしれない(笑)

作品とのかかわり

作品には出てきません。

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