遙か縁の土地めぐり



五稜郭

さあ,いざ,五稜郭へ!
まずは案内板を確認(笑)

特別史跡五稜郭跡

昭和27年3月29日指定
五稜郭跡は,幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で,箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により,中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。稜堡とよばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ,郭内には日本伝統建築の箱館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。
安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工,同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。その後,明治維新により明治新政府の役所となりましたが,明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が選挙,翌明治2年5月に集結する箱館戦争の舞台となりました。箱館戦争は,明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され,大正時代以降は公園として開放されています。
五稜郭跡は,築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに,幕末期の洋学採用の一端を示すものとして学術上きわめて価値が高いことから,北海道で唯一の国の特別史跡に指定。

まず目につくのが,不思議な形の城壁。 斜めなんですよねー。
近くに説明板もありました。

土塁・石垣

五稜郭の土塁は,掘割からの揚げ土を積んだもので,土を層状に突き固める版築という工法で造られています。
郭内への出入口となる3か所の本塁は,一部が石垣造りとなっています。特に正面の出入口となる南西側の本塁石垣は,他の場所の石垣よりも高く築かれていて,上部には「刎ね出し」とよばれる防御のための迫り出しがあります。
石垣には函館山麓の立待岬から切り出した安山岩や五稜郭北方の山の石が使われています。
※刎ね出し 武者返し,忍び返しともよばれ,上から2段目の石が迫り出して積まれているため,外部からの侵入を防ぐっ構造となっています。

お堀にはスイレンも咲いていました。

箱館奉行所の建物は,最初の説明書きにもあった通り,現存しているわけではありません。
ここにあるのは,近年になってから復元されたもの。
なんだか,不思議な感じでしたよ。中にぽつーんと建物があるんですから。
まあ,全部復元したわけじゃないんでしょうけれど。

ふはははははは,壮観である(笑)

中に入ってわかったのは,やっぱり全部復元したわけではない,ってこと。建物の中から見た景色なんですけれど,この書かれた線,昔はこのあたりにあれがあって,これがあって,という感じの印だったかと思います。
奉行所の建物の中には,建物の地図なんかもありまして,友人と「いったいいくつお手洗いがあるんだろう…」と思わず探しました(笑)

外には大砲も。

それでですね,奉行所の建物のそばでこんなものがありまして。
何かというと,衣装を着て写真撮れるよ!ってやつ(笑)
そーいえば,コルダでもやっていましたよね。あれ,ネタかと思ったら本当だった(笑)
あんなに立派なものじゃあ,ありませんけれど。
そして,当然のことながらやりましたよ?
2013年時点で,3ポーズ500円。

写真は撮ってくれます。手持ちのカメラで。
お客さんは私と友人だけだったので,3ポーズどころか,たくさん撮ってくれました(大笑)
色々ポーズさせられてね!
中には「はい,こうやって…牙突!!」
爆笑\(^o^)/

今もこのお店,あるのかしら…。

作品とのかかわり

冥加と氷渡が幕末コスプレをする
加地、月森、土浦と一緒に行く

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